
(4)クリックスヤスダ誕生・そして自己破産へ
経営不振による新会社設立
1970年代以降、海外ブランドの攻勢により、「安田」は苦戦を強いられることになった。それでも、当時生き残るためには必須と考えられていた派手なプロモーションを良しとせず、中高生向けにターゲットを絞って、地道な営業活動を行なった。特に高校選手権には注力し、ユニフォームの色に合わせたカラースパイクを提案するなどしていた。
そんな活動を続けながらなんとか食らいついていたのだが、Jリーグ誕生前の昭和63年(1988)には、経営不振に陥っていた安田をたたむことを覚悟する状況になっていた。
しかし安田は、安田を愛するメンバーたちの手によって新会社クリックスヤスダとして生まれ変わる。
大量生産が常識の時代の中で、生産ロットの小ささを生かし、一足単位で対応するスパイクのカラーオーダーを受け付けた。
また、他メーカーが手薄だった審判用具の充実を図っていった。
プロ契約を再開するも破産へ
1995年には、プロ選手との契約を再開。
柏レイソルの柱谷幸一や、ブラジル代表として活躍していた、ジュビロ磐田のドゥンガ、アトレチコ・ミネイロのタファレルとの契約が結ばれた。
ドゥンガとは、型や造りについて意見交換も行われ、彼が名付け親となったシリーズも誕生するまでにも至った。
しかし、他のスポーツ用品メーカーが仕掛ける最新のプロモーションや製品によって、奪われたシェアを取り戻すことはできなかった。
プロローグ一覧
(1)安田重春とサッカーシューズ・創始期から独立
(2)自転車で自分で届ける「安田の靴」
(3)サッカー用品の総合メーカーへと成長
(4)クリックスヤスダ誕生・そして自己破産へ
(5)クラウドファンディングを経て株式会社YASUDAが復活
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