(5)クラウドファンディングを経て株式会社YASUDAが復活

「ヤスダ」ってスパイクあったよね?

2017年8月、現株式会社YASUDA代表の佐藤が、フットサル仲間と昔のサッカーシューズについて話をしていた時のことだった。

「ヤスダのカンガルーレザーのスパイク、蹴りやすかったし、懐かしいよね。」

不意に放たれたこの一言で、佐藤とヤスダのスパイクの思い出が蘇る。

サッカー少年だった小学生の頃からあらゆるスパイクを試すも、自分の足に合うものが見つからず苦悩。
そんな日々が続いたが、サッカーショップで「足にフィットするカンガルーレザーのヤスダが良いのでは?」とアドバイスを受け、佐藤が中学2年の時、初めてヤスダのスパイクを着用。

実際、この日から、佐藤は社会人になるまでの現役の間。自身の足にフィットするYASUDAスパイクを着用し続けた。

この日の会話をきっかけに、ヤスダについて調べてみたが、2002年日韓共催のサッカーワールドカップ直前に倒産、すでに存在していないことが判明したのであった。

また、あのスパイクを履きたい

「もう一度、ヤスダのスパイクを履きたい!」
「フットサルシューズも、あのカンガルーレザーで作ったものを履いてみたい!」

日増しにヤスダへの想いが強くなり、今の状況を調べているうちに、「いっそのこと自分でヤスダを作れないだろうか。作りたい。」と思うようになる。
その一心で動き続け、2017年10月に、「ヤスダを引き継いだ男」である、元ヤスダ社員の齋藤氏に辿り着く。

ヤスダへの熱い想いと「もう一度、ヤスダのサッカースパイクを一緒に作りたい」というメッセージを斎藤氏に手紙で伝えると、すぐに対面が実現したのだった。
その場でお互いの想いがぶつかり意気投合し、復刻への道が始まった。

一方で、クラウドファンディングを活用し、復活への資金を募った。
当時のヤスダファンから、多くの支援をいただくに至ったのだ。

ヤスダ復刻への道

既に倒産してしまっている会社、ヤスダ。
当時の木型、金型は手元になく、ほぼゼロからのスタートであったが、齋藤氏の協力のもと、当時の木型と金型が、ある会社に保管されていることが判明したのだ。

そしてその会社こそ、ヤスダ最後のサッカースパイクを製造していた会社であった。
当時の話を聞き、何度も足を運び、スパイクの製造方法や生地、製法などにおいて多大なる協力を得ることができた。

できる限り当時のスパイクに近く、「ヤスダといえばこれ!」を試行錯誤する日々。

どれくらいの方々がヤスダファンとして戻ってきてくれるのか。
新しくファンになってくれる方はいるのか。

様々な想いと不安、そしていくつものハードルを乗り越えて、「株式会社YASUDA」を設立。
ようやくサッカースパイクを製造できるところまで辿り着くことができたのだ。

プロローグ一覧

(1)安田重春とサッカーシューズ・創始期から独立
(2)自転車で自分で届ける「安田の靴」
(3)サッカー用品の総合メーカーへと成長
(4)クリックスヤスダ誕生・そして自己破産へ
(5)クラウドファンディングを経て株式会社YASUDAが復活

Feature

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