(1)安田重春とサッカーシューズ・創始期から独立

サッカーシューズ専門係の誕生

ヤスダ創業者である安田重春は、明治43年(1910)10月2日、埼玉県北足立郡(現在の川口市)の農家の五男坊として生まれた。大正13年(1924)に、15歳で地元の高等小学校を卒業すると、浅草の叔母を頼って上京。草のひさご通りでフェルト草履の製造をしている叔母のもとで手に職をつけようとしていたが、これに叔母が「これからの履物は下駄や草履でなく靴の時代。履物を志すなら靴でやりなさい」と大反対し、私は靴の道へと進むことを決断した。先見の明があった叔母のこの一言が、ヤスダ誕生の第一歩となった。

安田は牛込区下宮比町の「サクライ」という靴屋に徒弟として住み込みながら靴について学んだ。サクライは一般靴の製造販売を営んでいたが、安田が入社した頃からサッカーシューズを手がけ始めていた。
当時サッカーシューズの専門メーカーはなく、野球にしてもラグビーにしてもスポーツシューズは、すべて普通の紳士靴屋が片手間に作っていた。そのような環境のなかで安田は寝食も忘れるほどに勉強を重ねた。そうして一人前に靴が作れるようになると、いつのまにか「サッカーシューズ専門係」になっていた。

当時、靴技術のパターンは皆無で、何もかも職人の知恵と工夫のなせる産物であった。サッカーシューズの創始期は、今からは想像もつかない手さぐり状態であったのだ。それでも当時は、次から次へと注文がきて得意先も増えていった。

専門メーカーとして独立

サッカーシューズばかりを作っていた8年を経て、安田は昭和7年(1932)3月、21歳で独立した。安田なりにスポーツシューズの将来性というものに期待が持てるようになったからだ。ちょうどその頃は、明治・大正から人気のスポーツである野球、テニスに加えて、サッカー、ラグビー、登山、スキー、スケートなどが人気になり始めた時代であった。また、昭和11年(1936)にはベルリンオリンピックが開催され、日本からもサッカー代表チームが出場することになった。この影響もあって、サッカー用具の需要が急速に増え始めていた。それに対応していくには、片手間仕事ではどうにもならず、専門メーカーとして自立し、品質的にも立派なものを作っていかねばならなかった。

店は小石川区竹早町(現在の小石川四丁目)。職人も三人ばかり雇ったものの、資金も経験もなかったが、「誠意を込めて一生懸命がんばれば、何とか食っていける」と思ったそうだ。

独立当初、サクライ時代のお客様がどんどん注文をくれた。まだブランドなどない時代だったから、安田の職人としての技術についてくれたお客様だった。しかし、安田は思った。「向こうからやって来る注文を待つようなやり方に甘んじていては、大きく伸びない。昼間はできるだけ外へ出て、新しい販路を開拓しよう」と。安田の営業活動が始まった。以前からのお得意様である早稲田大学、慶応大学、付属中学のほかに、東京大学、東京高等師範学校へはよく通った。

グラウンドに通い、練習が終わると、選手のところへいって注文をもらう。注文といってもほとんどがシューズのポイントの打ちかえで、店へ持ち帰って、夜打ち直す。一足全部打ちかえて40銭、10足やっても4円。日当にもならない仕事だが、しだいに選手たちに知られるようになり、選手たちも安田の靴を評価してくれるようになった。

プロローグ一覧

(1)安田重春とサッカーシューズ・創始期から独立
(2)自転車で自分で届ける「安田の靴」
(3)サッカー用品の総合メーカーへと成長
(4)クリックスヤスダ誕生・そして自己破産へ
(5)クラウドファンディングを経て株式会社YASUDAが復活

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